突然、姿を消した婚約者

  • ハンドルネーム:さおり
  • 性別・年齢:30代・女性
  • 体験談の時期:20代前半

私には同棲して4年になる彼氏がいました。
出会いのきっかけは親友からの紹介で2年ぶりに付き合った彼氏でした。
彼とはゲームや買い物など共通の趣味が多く、一緒に趣味を楽しんだり、
週末は二人でキッチンに立ち、色々なお料理をしたりしていました。
そんな彼が心から大好きで、毎日がとても幸せでした。

そんなある時、事件は起こったのです。

いつものように夜勤へ出勤していく彼、
そしていつものように彼を見送る私……
なんの疑いもなく、その日の晩は横になりました。

翌朝……

彼の姿がどこにも見当たらないことに驚きました。
いつもこの時間には必ず帰ってきているのに……

私は不安になり、メールや電話での連絡を何度も、何度もしてしまいました。
しかし、電話も繋がらずメールの返信さえ返っては来ませんでした。

当時の私には「浮気」という概念は思い当たらず、
何か交通事故や犯罪などの事件に巻き込まれてしまったのではないかと思っていました。

彼の友人や、彼を紹介してくれた親友……
彼のお母さんなどにも連絡をして安否の確認を急ぎました。
残念な事に、彼の行方を知っている人は誰一人いませんでした。

夕方……深夜、そして次の朝。

不安がつもり、この時の私は食事や水さえも喉を通すことが出来ず、
ただただ、彼の帰りを待ち続けました。

この時の私達はお互いに結婚を視野に入れていました。
両家の顔合わせも済ませ、ブライダルフェアへ参加し、
後は貯金をして結婚式までの計画を立てるだけでした。

そして一向に連絡がないまま、1週間が過ぎました。

ある時、知らない番号から電話がかかってきたのです。

それは「彼の彼女」と名乗る女の子からでした。
すでに、彼はその女の子と一緒にひとつ屋根の下で
新しい生活を送っているとの内容でした。

私はこの時、血の気が一気に引きました。
このまま倒れてこんでしまい、
その後の電話の内容は全く覚えていません。

この日を境に私は一歩も外に出ることが出来ず、 寝たきり生活へ、
母が心配して家に来たときには10キロも痩せていました。
そして母は涙が流れ続けている私を病院へ連れて行ってくれました。

この時うつ病と診断されたのでした。

彼がなぜ、何も言わずに家を出て行き音信不通になってしまったのかは
今でも全く検討もつきません。

風の噂で耳にしたのは、
新しい彼女はバイト先の夜勤で仲良くなった女の子ということでした。

それから2年間精神科へ通い治療をしましたが、
今でも人を信じるということには恐怖や抵抗があります。

高校の時にいじめられたせいで、飛び降り自殺まで追い込まれた。

  • ハンドルネーム:まいまい
  • 性別・年齢:30代前半・女性
  • 体験談の時期:高校生の時

いじめを受けた体験談

私は高校受験で受験が早く終わるからと理系のコースの受験をしました。
英語コースの受験でもよかったのですが、彼氏が欲しいからとただ制服デートにあこがれていただけで理系を選んでしまったのです。

それが今でも苦しめられている精神疾患になるとは思いもしませんでした。

高校受験の日、運よく得意分野ばかり出ていて、見事合格しました。
40人のクラスだったのですが、女子はわずか4人でした。
友達もいたので仲良くできるだろうと安心していました。
むしろ高校生活にうきうきしていました。

それが夏が始まる7月。

突然、靴のシューズ袋がはさみで切られていました。
転校などで引っ越しが多く、以前にも軽くいじめられた経験があったので、友達に話すことでまぎらわせて、そんなに気にはしていませんでした。

夏休みは犯人捜しも友達はしてくれました。

しかし、9月の2学期に入ったころ、体育の授業で頑張ってないとみなされたようで4人の中ではぶられるようになりました。

頑張ってもがんばっても体育だけはできなくて…。
それがさぼっているようにみえたみたいで気に食わないと無視されるようになりました。
そしていじめのきっかけは男子のせいだとわかりました。

次第にいじめのほうはエスカレートしていきました。
机の下にチョークの粉がぬられていたり、机の上にのりをぬられていたりと…

女子のほうはあいかわらず無視でした。
ひとりぼっちになってしまいました。

突然届いた一通の手紙が私達家族の人生を一転させた。

  • ハンドルネーム:ふわもこ
  • 性別・年齢:20代後半・女性
  • 体験談の時期:私の学生時代

ある日、いつも通り学校から帰宅した私。
中学生ながらも、母がリビングで落胆している様子に違和感を覚えました。
私「どうしたの?」
母「大丈夫……何でもないから」
きっと父と喧嘩でもしたのだろう。
そう思った私はそのまま母をそっとしておきました。
元々単身赴任であまり家に帰ってこなかった父なので喧嘩はよくあったみたいです。
実際、全然大丈夫ではなかったことに気が付いたのは高校に入学してからでした。

私達家族は都内で少しだけ裕福に暮らす幸せな7人家族でした。
中学の受験を控えていた頃、私の人生が一転したのです。
当たり前のように志望校を決め、願書を書き、受験を控えていました。
憧れだった「高校生」……胸が躍る気持ちでいっぱいでした。

そんな時、母から信じられない言葉を聞いてしまったのです。
母「突然でごめんなさい。来月から千葉へ引っ越すことになったの……」
私はこの時、そうか~高校に通学するのが大変そうだな~
そんな安易な考えをしていました……。

母「それでね……高校受験の話なのだけど、千葉に住んでいると都立の学校には通えないの。千葉の公立高校へ行ってほしい……」

正直、びっくりしました。
なんでこのタイミング?
行きたい高校だったのに……
そのために必死に受験勉強したのに……
募る思いは沢山ありましたが私は中学生の分際、
何一つ権力はなくただただ、母の言うことを受け入れました。

憧れだった高校生活にやっと馴染んできたころ、
母から衝撃の事実を聞くことになりました。

母「高校生活は楽しい?」
私「うん……なんか、改まってどうしたの?」
母「妹達にはまだ内緒にしてほしいのだけど……」
私「うん……」
母「実は、お父さん出て行ったみたいなの……」
私「えぇ!!!」
母「もう高校生だからね、一応話しておこうと思って。」
私「単身赴任じゃないの?」
母はこの時一通の手紙を見せてきました。

その手紙の内容がいまいちわからなかったのですが、
「借金」ということははっきり分かりました。

詳しく聞くと父は月の給料を消費者金融から借り入れし、母に給料だと言って1年間以上
渡し続けていたらしいのです。

300万以上の借金、父の逃亡……4人の兄妹……
色々なことが頭をよぎりました。

高校卒業後、看護師という夢を諦め、私は高額収入の見込めるキャバクラで働きました。
必死で昼夜働き、毎月母と協力して借金を返済していきました。
もちろん、借金のことは長女である私にしか伝えられていません。

なんで母はこんな父と結婚したのだろう、そう思って母を嫌いにもなりかけました。
されど家族、協力していかないと。
早く借金を返済してまた昔のような幸せな家族に戻りたい。
その一心で何とか毎日頑張ることが出来ました。
目先の目標ではなく、長期的な目標を立てることが大切なのだと気が付かされました。
幸せは勝手に訪れてはくれません。
自分で掴みにいかないといけないのだと強く思いました。

学生時代の冷酷ないじめ

  • ハンドルネーム:ふわもこ
  • 性別・年齢:女性・20代後半
  • 体験談の時期:私が小学校のころ。

私がいじめを目の当たりにしたのは小学校高学年の頃でした。
それまで私にはいつも一緒に仲良く遊んでいたAちゃんというお友達がいました。
ある時、Aちゃんになんとなく距離をおかれていることに気がついたのです。

私「土曜日遊ぼ~!」
Aちゃん「ごめん……」

毎週一緒に遊んでいたのに、いきなり断わってきたAちゃんに大きな違和感を覚えました。

その翌週の月曜日、
いつものようにクラスへ入ると私の席がみんなから少し離されていたのです。

私は元の位置へ席を戻そうとしましたが、
クラスの男子の一言でその手を止めてしまいました。

男子「近づくなよ……だからみんなに嫌われんだろ」

私は何がなんだか分からなくなってしまいました。
先週までは普通だったのに……

そんな中、激しい腹痛に見舞われ保健室へ行くとすぐに帰るように言われました。

自宅へ帰ると高熱になり、母に病院へ連れて行かれました。
盲腸という病気でした。

2週間程経過し、いじめのことを忘れていた私はその日、普通に登校しました。

すると、上履きに鳩の糞のような物が乗せられていることに気が付き、
慌ててトイレへ駆け込み上履きを洗ました。
そこにクラスの女の子がやってきて、私にこう言いました。

女の子「なんで登校してきたの?」
女の子「不登校になったと思ったのに……」
私「盲腸で手術してたんだ……」
女の子「手術?傷跡はあるの?」
私「あるよ。まだ完治していないから痛いんだよね」
女の子「どこにあるの?見たーい!」

ここで私は傷跡を見せてしまったのです。

すると、その女の子は傷跡に向かって何回も蹴りを入れてきました。
とても痛く、涙が止まりませんでした。

そして私はこの頃から不登校になってしまいました。
親には何度も学校に行くように説得されましたが、どうしてもあのトイレでの出来事の印象が強く学校には行くことができませんでした。

今でもあの時のことを思い出すと鳥肌が立ちます。

後から知ったのですが、
私のいじめが始まった原因は、クラスの女の子が私とAちゃんの関係に嫉妬したことから始まったようです。

Aちゃんはクラスの人気者だったため、周りの女子たちは私が彼女と仲良くしているのが気にくわなかったようです。

小学生時代に同学年の複数から嫌がらせを受けました。

  • ハンドルネーム:yoshiha
  • 性別・年齢:30代前半・女性
  • 体験談の時期:小学生時代

これは私が小学生の頃のお話です。同学年の複数人からいじめを受けていました。

小学3年生の頃は、ばい菌扱いをされていて、他の人とちょっと肩がぶつかったりしただけで、「うわぁ、汚い!」と言ってまるで汚い物にぶつかったかのように、その場所を手で拭き取って鳥のフンを擦り付けるように近くにいた他の人へ「yoshihaのばい菌だ~」と言いながら擦り付けるのです。すると擦り付けられたその人がまた別の人へというように、次々にばい菌を擦り付けて同学年全員に広がっていくような感じで嫌われていました。

それ以外にも靴や体操着や教科書類などが行方不明になったり、机や椅子が廊下に置いてあったり授業中にプリントが回ってこないということも度々ありました。グループ活動を行うときは仲間外れにされました。この時の担任教師は「みんな仲良くしましょうね」と言うぐらいでした。

小学4年生の頃は、さらに葬式ごっこと称して机の上に花びんが置いてあったり、靴や椅子の上に画びょうが置いてあり知らずに踏んだり座ったりしてしまい怪我をしたこともありましたが周りはクスクス笑うだけです。この時の担任教師は「いじめられる方が悪い」という方針だったのでまともに取り合ってくれず私の方が怒られました。

小学5年生の頃には、ますますエスカレートして教科書やノート、机などに油性マジックで「死ね」などの暴言をたくさん書かれたり、教科書やノート、机の中にカッターの刃が隠されていて手を怪我したこともありますし、階段を降りている最中に押されて落ちることもありました。すでに書いてある嫌がらせも全て継続されていたので、学校に居場所がありませんでした。一人きりになれるはずのトイレでも上から水を掛けられるということがあるほどです。この状態が小学校卒業するまでずっと続きました。

いじめをしていた側の人たちにとってはただの「からかい」だったのかもしれないのですが、それでも私にとっては苦痛以外の何物でもありませんでした。