高校の時にいじめられたせいで、飛び降り自殺まで追い込まれた。

  • ハンドルネーム:まいまい
  • 性別・年齢:30代前半・女性
  • 体験談の時期:高校生の時

いじめを受けた体験談

私は高校受験で受験が早く終わるからと理系のコースの受験をしました。
英語コースの受験でもよかったのですが、彼氏が欲しいからとただ制服デートにあこがれていただけで理系を選んでしまったのです。

それが今でも苦しめられている精神疾患になるとは思いもしませんでした。

高校受験の日、運よく得意分野ばかり出ていて、見事合格しました。
40人のクラスだったのですが、女子はわずか4人でした。
友達もいたので仲良くできるだろうと安心していました。
むしろ高校生活にうきうきしていました。

それが夏が始まる7月。

突然、靴のシューズ袋がはさみで切られていました。
転校などで引っ越しが多く、以前にも軽くいじめられた経験があったので、友達に話すことでまぎらわせて、そんなに気にはしていませんでした。

夏休みは犯人捜しも友達はしてくれました。

しかし、9月の2学期に入ったころ、体育の授業で頑張ってないとみなされたようで4人の中ではぶられるようになりました。

頑張ってもがんばっても体育だけはできなくて…。
それがさぼっているようにみえたみたいで気に食わないと無視されるようになりました。
そしていじめのきっかけは男子のせいだとわかりました。

次第にいじめのほうはエスカレートしていきました。
机の下にチョークの粉がぬられていたり、机の上にのりをぬられていたりと…

女子のほうはあいかわらず無視でした。
ひとりぼっちになってしまいました。

学生時代の冷酷ないじめ

  • ハンドルネーム:ふわもこ
  • 性別・年齢:女性・20代後半
  • 体験談の時期:私が小学校のころ。

私がいじめを目の当たりにしたのは小学校高学年の頃でした。
それまで私にはいつも一緒に仲良く遊んでいたAちゃんというお友達がいました。
ある時、Aちゃんになんとなく距離をおかれていることに気がついたのです。

私「土曜日遊ぼ~!」
Aちゃん「ごめん……」

毎週一緒に遊んでいたのに、いきなり断わってきたAちゃんに大きな違和感を覚えました。

その翌週の月曜日、
いつものようにクラスへ入ると私の席がみんなから少し離されていたのです。

私は元の位置へ席を戻そうとしましたが、
クラスの男子の一言でその手を止めてしまいました。

男子「近づくなよ……だからみんなに嫌われんだろ」

私は何がなんだか分からなくなってしまいました。
先週までは普通だったのに……

そんな中、激しい腹痛に見舞われ保健室へ行くとすぐに帰るように言われました。

自宅へ帰ると高熱になり、母に病院へ連れて行かれました。
盲腸という病気でした。

2週間程経過し、いじめのことを忘れていた私はその日、普通に登校しました。

すると、上履きに鳩の糞のような物が乗せられていることに気が付き、
慌ててトイレへ駆け込み上履きを洗ました。
そこにクラスの女の子がやってきて、私にこう言いました。

女の子「なんで登校してきたの?」
女の子「不登校になったと思ったのに……」
私「盲腸で手術してたんだ……」
女の子「手術?傷跡はあるの?」
私「あるよ。まだ完治していないから痛いんだよね」
女の子「どこにあるの?見たーい!」

ここで私は傷跡を見せてしまったのです。

すると、その女の子は傷跡に向かって何回も蹴りを入れてきました。
とても痛く、涙が止まりませんでした。

そして私はこの頃から不登校になってしまいました。
親には何度も学校に行くように説得されましたが、どうしてもあのトイレでの出来事の印象が強く学校には行くことができませんでした。

今でもあの時のことを思い出すと鳥肌が立ちます。

後から知ったのですが、
私のいじめが始まった原因は、クラスの女の子が私とAちゃんの関係に嫉妬したことから始まったようです。

Aちゃんはクラスの人気者だったため、周りの女子たちは私が彼女と仲良くしているのが気にくわなかったようです。

小学生時代に同学年の複数から嫌がらせを受けました。

  • ハンドルネーム:yoshiha
  • 性別・年齢:30代前半・女性
  • 体験談の時期:小学生時代

これは私が小学生の頃のお話です。同学年の複数人からいじめを受けていました。

小学3年生の頃は、ばい菌扱いをされていて、他の人とちょっと肩がぶつかったりしただけで、「うわぁ、汚い!」と言ってまるで汚い物にぶつかったかのように、その場所を手で拭き取って鳥のフンを擦り付けるように近くにいた他の人へ「yoshihaのばい菌だ~」と言いながら擦り付けるのです。すると擦り付けられたその人がまた別の人へというように、次々にばい菌を擦り付けて同学年全員に広がっていくような感じで嫌われていました。

それ以外にも靴や体操着や教科書類などが行方不明になったり、机や椅子が廊下に置いてあったり授業中にプリントが回ってこないということも度々ありました。グループ活動を行うときは仲間外れにされました。この時の担任教師は「みんな仲良くしましょうね」と言うぐらいでした。

小学4年生の頃は、さらに葬式ごっこと称して机の上に花びんが置いてあったり、靴や椅子の上に画びょうが置いてあり知らずに踏んだり座ったりしてしまい怪我をしたこともありましたが周りはクスクス笑うだけです。この時の担任教師は「いじめられる方が悪い」という方針だったのでまともに取り合ってくれず私の方が怒られました。

小学5年生の頃には、ますますエスカレートして教科書やノート、机などに油性マジックで「死ね」などの暴言をたくさん書かれたり、教科書やノート、机の中にカッターの刃が隠されていて手を怪我したこともありますし、階段を降りている最中に押されて落ちることもありました。すでに書いてある嫌がらせも全て継続されていたので、学校に居場所がありませんでした。一人きりになれるはずのトイレでも上から水を掛けられるということがあるほどです。この状態が小学校卒業するまでずっと続きました。

いじめをしていた側の人たちにとってはただの「からかい」だったのかもしれないのですが、それでも私にとっては苦痛以外の何物でもありませんでした。